― だんじり雑考 ―

これらの情報は、「だんぢり雑考」(宮本福太郎氏著)、「地車かわら版」(だん吉友の会)、
「サイト:絆」の管理者様のお話などを参考にさせて頂きました。宮本福太郎氏は岸和田市沼町の方で「だんじりの生き字引」と言われ、昭和44・45年に年番補佐、昭和49年には祭礼年番長もつとめられ、岸和田旧市の祭礼に多大な貢献をされました。
岸和田市上町のだんじりは昭和4年に新調されましたが、地元の植山宗一郎氏が3台分の用材から良材を選び抜いて製作したとのことです。
岸城神社への宮入りの際、ほとんどのだんじりが町旗の代わりに「ふきちり」を付けます。

こなから坂をやり廻す時に風になびいて格好良いのですが、「宮本町・上町・五軒屋町」の宮1番・2番・3番は町旗を付けて城の正門前まで曳行し、そこでふきちりに交換して、宮入後に町旗に戻すそうです。

宮座のどこの町が来たか分かるように「町旗」で入り口まで来て 宮入では「正装ふきちり」に替え、出れば出た印に「町旗」で帰るとのことです。
岸城神社への宮入りは「宮本町・上町・五軒屋町」が宮1番・2番・3番ですが、元々は上町が宮1番だったそうです。上町はその昔だんじりを曳行しなかった時期があるそうで、その時に宮本町に宮1番を譲ったとのことです。
岸和田だんじり祭の始まりは、元禄十三年(1700年)とも元禄十六年(1703年)とも言われています。

当時のだんじりは「長持ちに車を付けたような簡素なもの」であったらしく現在のような型になったのは、天明五年(1785年)に北町の「油屋治兵衛」が中心となり宇多大津村(泉大津)から中古地車を購入したのがきっかけと言われています。

このだんじりは数年後に、現在の泉佐野市中庄に売却されています。
ご存知の通り、だんじりの小屋根下には「見送り」と言われる部分があります。「二重見送り」のだんじりは結構多いのですが、堺市八田荘地区の「家原寺」のだんじりは「三重見送り」になっています。

三重とは、枡合部分・見送り部分・見送り下の連子部分です。私の知る限り他にはありません。製作は池内工務店です。
ご存知の方も多いと思いますが、岸和田だんじり祭には「年番」という制度があります。その年の祭の最高責任機関ということになるわけですが、岸和田旧市においては時と場合により市長・警察署長・町会長よりも権限があるとも言われています。

9月14・15日の祭が終わると翌日から引き継ぎが始まり、翌年の祭までの1年間その重責を果たすわけですが、その立場にある間は仕事もまともにできないと言われるぐらいです。

年番の組織は、年番長1名・副年番長2名・総務1名・会計1名・庶務1名の6名でしたが昭和42年から諸般の事情により年番補佐の17名が加えられ、計23名になったようです。

これらの皆さんは「地車堪能者」であることは言うまでもありません。古文書によると、嘉永二年(1849年)から「年番」という文字が記載されており昭和49年に年番長をつとめられた「だんぢり雑考」著の宮本福太郎氏で第126代目だそうです。
毎年9月1日に「三郷の寄合」(三戸の寄合・三合の寄合)という会議が行われます。会議には、市長・警察署長・年番・町会長・青年団長などが出席して、安全曳行のための打ち合わせを行います。また、宮入り・パレードの順番などを抽選で決定します。
岸和田型のだんじりには、「切妻型と入母屋型」があります。最近は入母屋型が流行ですが岸城神社へ宮入りする「宮本町・上町・五軒屋町」は切妻型に限られております。理由は岸城神社の神殿が切妻型だからとのことです。
岸和田以外ではあまり知られていないと思うのですが、毎年8月中頃に「地車物故者法要」という行事があります。これまで多くの方がだんじり祭で亡くなっておられますがその方たちの供養をするもので昭和28年から始まりました。

参加される方は、岸和田市長・岸和田警察署長・年番長・連合町会長・各種団体代表・遺族などで議員さんが参加される場合もあります。犠牲になられた方々の冥福を祈るとともに祭礼の安全を祈願するそうです。
ご存知の通り、岸和田だんじり祭は非常に危険な祭で、たまに亡くなられる方がおられます。不幸にも亡くなった場合の葬儀には祭の衣装で関係者が参列するそうです。

棺が式場を出る時は鉦と太鼓を鳴らして送るそうです。また、昔は棺に曳き綱をつけて関係者が綱を曳いて墓地まで葬送していたとのことです。
岸和田市紙屋町の大正末期の法被の背中には、亀・矢・蝶(かめやちょう)のデザインがあったらしいです。
祭礼に関する江戸時代の古文書があり、その中には色々なことが記録されています。

= 天保三年以前 =
喧嘩・争論があった場合、そのだんじりはその時点で曳行中止とする。
地車曳行には普段着で参加すること。
他国(岸和田以外)の者を参加させないこと。
祭礼当日は仕事を休んでも良いが、その前後は休まぬこと。

= 安政三年 =
喧嘩・口論する者はその場で逮捕する。

= 明治五年 =
喧嘩・争論をする者は捕縛し、以後十年間、祭礼の前後一週間拘置する。
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